一卵性Boyz含む4人の子育て カオスな日々

5歳長女、3歳長男、1歳次男、三男の一卵性の双子を育てる母ちゃんの育児日記です。双子妊娠から出産。始まったばかりの4人の子育てについてダラダラと書いていこうと思ってます。

双子妊娠9ヶ月 管理入院 初日

入院生活始まりでーす。



とりあえず、パジャマに着替えて、ゴーロゴロ。スマホつついてゴーロゴロ。


安静生活で充分ゴロゴロしていたので全く嬉しくない!



「今日なにかすることあるんですか?」


と、聞くと。


「今日はもうないですね♪」



入院してから検査でいいやないかーい。



安静にすることが目的なので無駄にウロウロすることもできず、買ってきた文庫本を読むことにしました。


静か。


屁のひとつもこけやしねぇ。


鼻をすする音すら響く。



すでにツライ。



看護師さんに早々に


「帰っちゃダメですか、なにかあったら来ますんで」


と言ってみたものの、ハニカミスルー。



こちらけっこうマジですけど。



でも、週末くらいは帰っていいんじゃなかろうか。と本気で考えていました。


はぁ。

そして、夕食タイム!

やることなさすぎた産前の入院生活でできることの1つが咀嚼。咀嚼ターイム!
あー、やることできたー。時間つぶせることできたー。アゴを動かせるー。



味は市民病院なのでイマイチ。なんでもおいしいと感じるバカ舌の私ですらイマイチと思うのだからグルメな人にはマズくてしょうがなかったことでしょう。やたら白米多めで、おかずはうすうすうす味。一般女子、特に胃が圧迫された妊婦は残す人が多いであろう食事を食べることが大好きな私は完食。 
だが長女が産まれる前から大食いの早食いで産まれてからはさらに早食いに磨きをかけたこの私にかかれば食べるのなんて一瞬さ。

咀嚼終了。


窓から見える外はすっかり暗くなり、もう心までどんよーり。

また文庫本を読んでいると旦那から電話で今着いた!

仕事と子ども達のお世話で平日は来られないだろうと思っていたが、まさかの来てくれた!子どもたちがいるので大部屋での面会はNG。広場的なところで

子どもたちーーーー!会いたかったよー!


まだ丸一日も離れてないのに、なにこの感覚。めっちゃかわいいじゃん、子どもたち!

子どもたちはまだ状況が分かっておらず、長女は
「なんで母ちゃんパジャマなん?」
「ここでなにしてるの?」
と不思議がいっぱい!初めての場所にウキウキワクワク。
明日も保育園だし、仕事だし、夜ごはんもまだなので早めに帰るように促し、病棟のエレベーターまで送っていくことに。


すぐにエレベーターが来て、3人が入って行き、扉が閉まろうとした瞬間、長男は異変に気づく。


母ちゃん乗ってないぞ。
おい待て、母ちゃんと一緒に帰らんのんか。
おい、僕ちゃん、母ちゃんと離れて寝たことないぞ。

エレベーターの扉が閉まりながら


「ちゃーちゃーーーーーーーん!(母ちゃーん)」



と大号泣。

それにつられて長女も泣き出す。


そんな状況で閉まる扉。。。


母ちゃん、、、

泣くよねー。


もう母親になり、1番ツライのは子どもにツライ思いをさせること。


帰りの車ですぐに旦那から電話かかってきて

「俺まで泣きそう」


おい、お前はしっかりせい。
決して、子どもたちの涙につられているわけではなく、自分が家事育児をしなければならない状況が嫌なのだ。


子どもたちは帰りにおやつを買ってあげると言うと落ち着きを取り戻したそうだ。
切り替え早め。それが子ども。

その後、滅多にしない旦那とのラインのやりとりをし、お風呂入ったよ的な写メが。


あー。私が毎日独り占めしていたお風呂タイム。

妊娠中は、なかなかしんどかったが今はこんなにも恋しいだなんて。

そんな、思いを抱きながら昨夜遅くまで家事をして寝不足だったため、すんなり眠りにつきました。。


ちなみに旦那は普段家事を一切しません!
やってと言ってもなっかなかしません。食器を洗ってと言えば手が荒れるのが嫌。(嫁の手が荒れるのはいいんかい)掃除してと言えば、まだ全然汚れてないからまだしなくて大丈夫!片付けてと言えば俺は散らかっても気にしないから大丈夫!洗濯物干してと言えば外は暑いだの寒いだの干し方分からんだの言うような人間。

出会って約10年。

私の手助けしようと家事をしてくれたことなんてほぼほぼない。


なのに、入院初日、食事の準備をし、洗濯物して子どもの保育園の水筒や箸など洗って、保育園の準備をし、お風呂に入れて寝かしつける。
それを全て一人でこなしたのです!

できるじゃない、やればできるじゃない!

なぜしないの、なぜその1割も普段からしないの。
知ってる知ってる、そういう人。


入院生活は死ぬほど嫌でしたが、旦那の本気を見ることができたのは、入院してよかったと思ったことでした。